ヒストリーHISTORY

軌跡をたどる

さすらいの料理人・陳建民の軌跡から
四川飯店で継がれゆく味と心を知ることができる。

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一、さすらいの料理人

中国・四川省は「三国志」で有名な“蜀”の国。

中国大陸西部の奥地で長江の上流に位置し、”神から与えられた恵まれた土地”という意味を込め「天府の国」と言われているこの地で陳建民は生まれ育った。10歳の時に宜賓の「海清園」というソバ専門店に勤めて以来、料理の世界で生きていくことになる。

料理を学び、作りながら雲南省、重慶、武漢、南京、上海、そして遂に大陸を離れて台湾、香港を経て、1952年に来日。各地をさすらってきた建民だが、その後、洋子ママと出会って結婚し、日本の地に根を張って四川料理を広めていく。

建民にとって妻の洋子ママの存在はとても大きい。本人はママを「神様がくれた宝もの」と呼ぶ。通訳、マネージャーとしても常に寄り添い、二人三脚で現在の四川飯店の礎を築いた。

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建民のさすらい行程
建民のさすらい行程

二、四川飯店の誕生

1958年秋、建民は現在の西新橋である東京・田村町に最初の四川飯店を創業(現在は閉店)。続いて、1960年に六本木の2号店、1970年に赤坂四川飯店をオープンし、さらに全国各地に店舗を展開していった。

「料理は愛情。愛情のない料理はダメよ」をモットーに、多くの後継者を育て、日本各地に四川料理を広めていった。また、1966年には恵比寿に料理学校を創立。建民が亡くなり閉校するまでの24年間で延べ15,000人以上の卒業生を輩出した。

こうした建民の料理人生から生まれ、今も四川飯店の味を守り伝えているのが、「建民川菜三十式」と呼ばれる三十の調理技法である。

その後を継ぎ、陳建一が二代目オーナーシェフとして、フジテレビ「料理の鉄人」やNHK 「きょうの料理」などのテレビ出演を通して、四川料理を更に広めることになった。現在、全国に四川飯店・スーツァンレストラン陳・陳建一麻婆豆腐店など四川料理の魅力を伝える店舗を多数展開している。 
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建民川菜三十式
建民川菜三十式
建民と建一
建民と建一

2015年、陳建一の長男である陳建太郎が三代目として、そのバトンを受け取った。歴史に敬意を払って、伝統的な料理や技術をしっかりと継承していくことはもちろん大切なことである。
しかし、その上で今以上にお客様に四川料理を楽しんでいただけるようにと、新たな要素も取り入れながら、これからの時代の四川飯店をスタッフと力を合わせて築いている最中である。

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