赤坂 四川飯店 四川飯店の歴史
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四川飯店とは
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さすらいの料理人
中国四川省は「三国志」で有名な蜀≠フ国。
中国大陸西部の奥地で長江の上流に位置し、昔から「天府の国」と云われている(神から与えられた恵まれた土地)。
このようなところで陳建民は生まれ育った。10歳の時に初めて宜賓の「海清園」というソバ専門店に勤めて以来、料理の世界で生きていくことになる。
その後料理を学び作りながら雲南省、重慶、武漢、南京、上海、そして遂に大陸を離れ台湾、香港をへて、1952年(昭和27年)に来日。
洋子ママとの出会い
建民が働いていた東文基園で中国語、日本語のできる働き手を探していた。そこへ紹介されてきたのが洋子ママだった。
洋子ママが東文基園に入って、間もなく建民はプロポーズし、知り合って2ヶ月で結婚。
こうして各地をさすらってきた建民は洋子ママにより、日本の地に根をはり、四川料理を広めていくことになる。
陳建民の蔭には妻(夫人)の洋子ママの存在がとても大きい。本人はママを「神さまがくれた宝もの」と呼ぶ。ときには通訳、ときにはマネージャーとして常に寄り添い、二人三脚で現在の四川飯店の礎を築いた。
四川飯店の誕生
1958年(昭和33年)秋に東京・田村町(現在の西新橋)に最初の四川飯店をオープン(現在閉店)。
続いて、1960年(昭和35年)には六本木に2番目の店をオープン(現在の六本木四川飯店)。
その後、1970年(昭和45年)に赤坂四川飯店をオープン。
店舗を構える全国旅館会館ビルの周囲は行政関係の施設等が立ち並ぶ都心とは思えないほど静かな雰囲気。他には店舗もネオンもなく、午後7時にはすっかり暗い場所での開店には周囲は大反対だった。
しかし、料理人としてだけでなく事業家として、商売人としての能力も見抜いていた洋子ママだけは黙って見守った。
オープンした赤坂店は周辺に飲食店がないこともありランチ時は大にぎわい、ディナータイムは会食や商談、政談の利用が続いた。
そして、今でもなかなか予約が取れないほどの人気である。

「料理は愛情。愛情のない料理はダメよ」をモットーに、多くの後継者を育て、四川飯店を広めていった。
1966年(昭和41年9月)には恵比寿に料理学校を創立。建民が亡くなり閉校するまでの24年間で延べ15000人以上の卒業生を出した(現在は閉校)。

こうした陳建民の人生から生まれ、今も四川飯店の味を守り伝えているのが、三十の調理技法(建民川菜三十式)である。

日本全国各地に出店し、2代目オーナーシェフ陳建一の現在、16店舗をかぞえる。
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